京都では嵐山と宇治川で鵜飼が行われていますが、宇治川の鵜飼は2人の女性鵜匠で知られています。
一人は「鳥がで好きで鳥といっしょに仕事がしたい」という澤木万里子さん。すでに10年のベテランです。もう一人は「長良川の鵜匠になりたかったけど、女性には門戸が開かれていないので宇治に来た」という岐阜県出身の江崎洋子さん。
この日は澤木さんが鵜舟に乗って、約50人の観客に鵜飼を披露しました。鵜飼の鵜はウミウで、ペリカンの仲間であることなどを説明されていました。
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ビデオを撮影した日、三重県桑名市の「上げ馬神事」で馬を虐待した容疑で係員が書類送検されたというニュースが流れました。本番前のバックヤードで、馬を興奮させるために足で蹴ったり、棒で叩いたりしたそうです。
しかし、坂道を一気に駆け上って壁を越えるという本番の方が苛酷で、失敗して転げ落ちたり、ケガする馬もいます。以前から指摘されていたのか、今年は壁の高さを2mから1.5mに下げたそうです。
そのニュースを見て、「同じ伝統行事である鵜飼も広い意味では動物虐待ではないか?」と疑問になりました。首に紐をつけて、獲った魚を人間が横取りするわけですから、虐待ではないにしてもいじめみたいなものです。
もちろん鵜匠はウミウに愛情を持って接しています。下は準備の映像ですが、鵜は喉を親指で撫でてやると落ち着くそうで、その撫で方も鵜匠の技の一つらしいです。
タカを飼い慣らして芸を披露する鷹匠に批判的な会員は多いようですが、私の知る限り鵜飼を批判する会員はいません。鷹匠と鵜飼は区別すべきなのでしょうか。
さらに広げて考えれば、上げ馬神事に比べれば、スペインの闘牛の方が罪深いのではないか? アメリカのロデオはどうなんだろう? 鞭でたたいて走らせる競馬は? と次々に疑問が湧いてきます。
また、漁業以外の釣りは無益な殺生ではないか? とも思います。キャッチ&リリースを免罪符にする人がいますが、例えば山にトラバサミを仕掛けて、鹿がかかっているのを見て喜んだ後、罠を外して逃すという行為は最も残酷な動物虐待でしょう。釣り針の傷跡から菌が侵入して魚が病気になるという話も聞きます。
熱帯の鳥に客が餌を与えたり、フクロウを客の腕に止まらせたりする「神戸花鳥園」は、「野の鳥は野に」をモットーとする当会から見ればとんでもない施設です。しかし、一般の動物園を教育的機能を有する施設として許容するなら、「神戸花鳥園」も容認すべきなのかも知れません。
人間と動物の関係、愛護と虐待、どこで線を引けばいいのか分からなくなってきました。
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