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人はかつて樹だった

しばらく前、探鳥会のお手伝いした際、樹木をテーマにした私のブログを読んでくださっている会員が、「こんな詩を書いている詩人がいますよ」と資料を渡してくれました。そこには、長田弘という詩人が『詩の樹の下で』という詩集を上梓したと書いてあります。
長田弘の詩集は学生の頃に1冊持っていたはずですが、確かな記憶がありません。調べてみると、これまでにも樹をタイトルにした詩集を発表しています。
その一つ『人はかつて樹だった』が宇治市の図書館にあったので借りてきました。樹や森をモチーフにした詩が21編収められています。

そのうちの1編「空と土のあいだで」をご紹介します。

どこまでも根は下りてゆく。どこまでも
枝々は上ってゆく。どこまでも根は
土を掴もうとする。どこまでも
枝々は、空を掴もうとする。
おそろしくなるくらい
大きな樹だ。見上げると、
つむじ風のようにくるくる廻って、
日の光が静かに落ちてきた。
影が地に滲むようにひろがった。
なぜそこにじっとしている?
なぜ自由に旅しようとしない?
白い雲が、黒い樹に言った。
三百年、わたしはここに立っている。
そうやって、わたしは時間を旅してきた。
黒い樹がようやく答えたとき、
雲は去って、もうどこにもいなかった。
巡る年とともに、大きな樹は、
節くれ、さらばえ、老いていった。
やがて来る死が、根にからみついた。
だが、樹の枝々は、新しい芽をはぐくんだ。
自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
考えぶかくここに生きることが、自由だ。
樹のように、空と土のあいだで。

森の中で巨木を前にすると、確かにこんな感覚が湧いてきます。特に、最後の3行は心に染みました。
Oさん、資料のご提供ありがとうございました。

               次の観察会は「探鳥会ガイド」をクリック

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3件のコメント

  1. 若松夏子

    Unknown
    人は、かつて樹だった。不思議と納得できる文章です

    私は、人との関わりにおいて、そうあれたら、と思っています。
    前向きなときは、上に伸び、そうでないときは、深く地下に根をはる。
    いまは、後者かも。
    魂に触れる文章ですね。

  2. fagus06

    Unknown
    若松様
    コメントありがとうございます。返信が遅れて申し訳ありません。
    私は樹木が好きで、いろいろ図鑑や本を見ながら個人的にブログに反映しています。人間と木との関連に興味があって、文学や生活、文化における樹木を追いかけていますが、詩人が描く木の世界もおもしろいです。
    この長田弘という詩人はほかにも樹木に関する詩をたくさん書いています。その中で私がいちばん共感できたのがこの詩でした。
    深い森に月に一度くらい出かけますが、こんな思いにひたることがあります。

  3. 若松夏子

    Unknown
    私は、今、心が自然を求めてるのでしょうか?
    都会?の暮らしは、田舎ものにとって不自由ですが、歩くことで、思わぬ発
    見。すずめの愛らしさなどに気がついたりします。
    でも、やはり、田舎に帰りたいです。先日、宮沢賢治の詩を読んでいて。
    永訣の朝なんて、あの風土の中で読みたいと思いました。

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