京都大学博物館で、「標本からみる京都大学動物学のはじまり」と題する展示が行われている。2013年に東大総合研究博物館で「驚異の部屋――京都大学ヴァージョン」と題する展示を行った時に京大標本を借用したのだが、このたびの展示の写真を拝見して、その時の興奮がよみがえった。
古い標本は、えてして地味なものだ。といって、その由来を後生大事に文字にしていたら文面がいくらあっても足りない。
標本にも「見所」というものはあるが、一見しただけでは見落としてしまいそうなのは野鳥の観察と同じだ。今回の展示には関連した連続講演があり、この内容が大変充実していて、こちらを聞いてから展示を見ると大変によくわかると思うが、ほんのチラっと、私の知っている範囲で、京大標本をご紹介する。
たとえば、鳥卵標本の「詰め合わせセット」を御覧になったことはあるだろうか。卵自体は必ずしも珍しい標本とは限らないが、それを50種も、几帳面な一覧表付きで、凝った木箱(しかも卵に合わせて専用に作られた一点ものだ)に入れてあるなどという贅沢さを、御覧になったことはあるだろうか? これがこの時代の学問であり、図鑑や映像を手軽に参照できない時代の標本の価値だったのである。標本の価値はそれ自体だけでなく、箱や台座の細工といった、パッケージの丁寧さにも表れるのだ。
そう、標本台座の木工の精巧さ、金属部の細工も、ぜひ見るべき点である。今時、「たかが剥製の台座のために」あんな手の込んだ細工をする奴はいない。
あるいは、カモノハシやハリモグラの剥製などというものを、御覧になったことはあっただろうか。発見当初はヨーロッパの学者に「こんなものはカモのクチバシをくっつけたフェイクだ」と相手にされなかったというカモノハシ…… それから100年ほどがたってはいるけれども、日本の動物学教室もまた、発足当初から抜かりなくこの珍妙な標本を手に入れているのである。カモノハシ剥製は1905年に動物標本社から購入したもので三高由来。ハリモグラ剥製にいたっては1890年頃、ということは第三校等学校になったかどうか、という時代である。たとえそれが帝国主義、富国強兵の時代の要請という部分はあったにせよ、金に糸目をつけず、手を尽くして学ぶための環境を整えていた旧制高校・大学の姿が目に浮かぶ。ちなみに、私事であるが、このカモノハシの剥製は私が京大の学生であった時に、標本室でお目にかかったような気がする。もう20年以上も前のことだ。
時代という点を見るならば、古い標本のラベルに目を止めてほしい。ペンや筆で書かれたラベルの産地はどうなっているだろうか? 例えばノガンの産地はどこだろう? 今では迷鳥としても滅多に日本には来ないノガンだが、江戸時代にはしばしば飛来したことがわかっている。東大にも三重県に飛来したノガンの写真がある。逆に、「大日本帝国」であった時代の産かもしれない。そのこと自体の是非はここで論じないが、少なくとも当時、「日本」の範囲は今よりも遥かに広かったのである。
また、カタツムリの変異を集めたコレクションの渋さはどうだろう。素人が見る限り、この貝殻には何ら、目を引くところはない――なにせ「普通」と銘打っている。はっきり言って、地味である。だが、この地味なコレクションと整理なくして、分類学はあり得なかった。「どうだ珍しいだらう」だけでは分類にも学にもならないのである。そしてその果てに、例えばカタツムリとセダカヘビの進化競争といった研究だってあるのだ。この研究は京大の細将貴氏によるものである。
カタツムリといえば、実物よりはるかに大きな、全長60センチになんなんとする解剖模型はどうだ。京大博物館には、類似したハチやカイコの模型もある。紙粘土製で、パーツをバラして内部構造が理解できるようにした精巧な構造である。年代はわからないが、台座やケースの具合から、かなり古いものだ。そして、こういった標本の大半は島津製作所製である。最初は輸入するしかなかったが、三高・京都帝大の時代には、日本国内でも制作されていたのだ。海外から購入した教材や標本に学び、日本人が自分たちの手で教育を作り上げようとした揺籃期からの記録が、ここにある。そして、それを120年間、保ち続けた大学の歴史も。
古い標本は、パッと見た感じでは、ただの見すぼらしい物体かもしれない。だが、その過ごして来た歴史に、作り上げた人の手に、教授の姿に、講義を聞く学生達に、その数々に思いを馳せれば、決して退屈なものではありえない。その物語はラベルや標本の端々に、チラリと姿を見せるのである。 松原始(東京大学総合研究博物館)
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