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SILENT SPRING

自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地―みな黙りこくっている。
これは、農薬による環境汚染を告発し、その後の環境保護運動を導いた『沈黙の春』(原題:SILENT SPRING)の中で、著者レイチェル・カーソンが描いた未来予想図です。
ここに登場するコマドリは日本で見られるコマドリではなく、アメリカコマドリ(コマツグミ)。北米では春を告げるポピュラーな鳥らしく、日本でいえばウグイスのような存在でしょうか。

     アメリカコマドリ(画像はパブリックドメイン)

冒頭の未来予想図は荒唐無稽ではなく、アメリカ各地で実際に起きた例が『沈黙の春』にいくつか記されています。
例えば、ミシガン州のある研究所が、農薬の犠牲になった鳥を提供するよう住民に呼びかけたところ、持ち込まれた標本が多すぎて断らざるを得なかった。最終的にその町だけで1000件以上が報告され、その多くがコマドリだった…。
そもそも、カーソンにこの本を書かせたのも農薬の犠牲になったコマドリ。彼女の伝記『レイチェル・カーソ』(原題:THE HOUSE OF LIFE)によると、「農薬が空中散布された後、森の木の枝からコマドリが落ちてきた」という友人の手紙を読んで、『沈黙の春』の執筆を決意したそうです。
カーソンは生物学者ですが、熱心なバードウォッチャーでもあったようで、前掲の伝記には双眼鏡を持った写真が4枚も掲載されています。

また、オーデュボン協会に所属し、地域の会長も務めていたようです。オーデュボン協会は日本野鳥の会みたいな組織。いわば支部長だったわけです。
そのレイチェル・カーソンが亡くなって、今年で50年。5月17日には没後50年の記念イベントが行われました。

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