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嫌われ者

私たちバードウォッチャーの間でも「カラスが好き」という人はほとんどいないでしょうし、一般の人々にとってカラスは嫌いな鳥の筆頭ではないでしょうか。
松尾芭蕉も大嫌いだったようで、『烏之賦』という散文で口を極めて罵っています。私流に現代語訳すると、以下のような内容。
「カラスは性格がねじれていて強悪で、トビをあなどり、タカも恐れずにチョッカイを出す。肉はカモに比べようもなくまずく、声もウグイスとは大違い。しかも、鳴けば人に不正の心を抱かせ、必ず凶事が起きる…」。「そこまで言うか?」と突っ込みたくなるほどの毛嫌いぶりです。
しかし、カラスにもいろいろあって、冬鳥として渡ってくるミヤマガラスやコクマルガラスは見に行きたくなります。私も巨椋干拓田へ観察に行きました。
稲を刈った後の田んぼにミヤマガラスが30羽ほど群れていました。電線に並んでいたのが下の2羽。クチバシがグレーで、基部が白いところが普通のカラスと違います。
おそらくペアでしょう。右の(多分)オスが左のメスの羽づくろいをしています。サルのノミ取りみたいで微笑ましいですね。

   

芭蕉がミヤマガラスやコクマルガラスを認識していたかどうかは分かりませんが、上述のカラス批判はさらにヒートアップします。
「人里では栗や柿の実を荒らし、田畑では農作物を喰い散らす。小鳥の卵を盗み、沼のカエルを喰らう。人の屍を狙い、牛や馬の内臓をむさぼる。挙句の果てに、凧にまでチョッカイを出して糸にからまって命を落とす。カワウの真似をして溺れる。むさぼることばかり考えて知恵を働かさないから、そんなことになるのだ。まるで、表面だけ墨染めの衣をまとった偽坊主のようだ。中国の伝説の3本足のカラスのように、矢に打たれて死ぬがいい」。
ここまで罵詈雑言を浴びせられると、カラスが少しかわいそうに思えます。
その一方で、“俳聖”はカラスを句に詠んでいます。
枯れ枝に烏の止まりたるや秋の暮れ
風景としての烏は絵になるから許す、ということなんでしょうか。他にもカラスの句があって、
ひごろ憎き烏も雪の朝哉 (大嫌いなカラスも雪に映えていつもと違う風情がある)
やっぱり嫌いなんですね(笑)。

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