京都市のほぼ中央、御所や同志社大学の近くに相国寺があります。その塔頭の一つ、林光院の庭園に伝説の梅が残っています。名前は「鶯宿梅(おうしゅくばい)」。
林光院
平安時代の歴史書『大鏡』によると、村上天皇の時代に清涼殿の梅の木が枯れたため、代わりの木を探したところ、某邸宅でいい梅が見つかったので、天皇の勅命で移植することになりました。
その邸宅の主は、梅の木との別れを惜しんで、以下の歌を短冊に認めて枝に結びました。
勅なれば いともかしこき鶯の 宿はととはば いかがこたへむ
この梅の木に居付いたウグイスに「私の宿はどこ?」と聞かれたら何と答えればいいのでしょう、と詠んだわけです。この歌を知った村上天皇は、その詩情を憐れんで梅の木を持ち主に返しました。以来、この木は「鶯宿梅」と呼ばれるようになったという話です。
その後、足利義満がその邸宅跡に林光院を開設。後になってそのお寺が移転したため、梅の木も移植されました。また、何度か枯れたものの、歴代の住職が接ぎ木で受け継ぎ、今に至っているそうです。
その鶯宿梅は非公開と知りつつ、市内へ出たついでに林光院まで足を運びました。すると、塀越しに白梅が見えるではありませんか。ひょっとして、あれが鶯宿梅?
残念ながら、そう甘くはありません。ゴージャスな観光ツアーでしかお目にかかれない梅の木ですから、塀越しに見えるわけないですよね~。
ちなみに、鶯宿梅の歌を詠んだ邸宅の主は紀貫之の娘。「さすが父親のDNAを受け継いで、歌の力で大切な梅を守った」と言いたいところですが、梅の木にウグイスが宿らないことはバードウォッチャーの常識。宿るとすればメジロです。「梅=鶯」というステレオタイプで詠んだのでしょう。
先日、テレビで梅の開花を報じていましたが、映像は梅の蜜を吸うメジロなのに、音声は「ホーホケキョ」。平安時代からの間違いは、こうやって再生産されるわけですね。
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