先日、7月7日に比叡山に於いて中西悟堂協会が主催、日本野鳥の会京都支部共催の「第20回中西悟堂事跡の旅in比叡山&日本野鳥の会京都支部創立77周年記念イベント」が催されました。
7月7日に日本野鳥の会京都支部創立77周年のイベントという語呂合わせのような感は否めませんが(笑)、以前から興味のあった中西悟堂氏に縁のある方々がお集まりになるということで、出かけてきました。
中西悟堂氏は野鳥研究家で歌人・詩人で文化功労者。日本野鳥の会の創設者として知られ、「野鳥の父」とも言われています。「野鳥」という言葉を作ったのも中西悟堂氏です。
日本野鳥の会は、今も悟堂氏が作った「野の鳥は野に」という標語を基に活動しています。
私も知らなかったのですがもともと天台宗のお坊様で、この比叡山でも修行をなさっていたとのこと。延暦寺にも大きな縁があったんですねえ。
TOPの画像は延暦寺恵亮堂(えりょうどう)に建立されている歌碑。
「樹之雫しきりに落つる暁闇の比叡をこめて啼くほととぎす」
会場は比叡山内にある延暦寺会館、比叡山に泊まるは機会はなかなかありません。
翌早朝の探鳥会も目当ての一つです。
その探鳥会には日本野鳥の会主任研究員の安西英明さんが来られるのも楽しみの一つでした。
朝5時からの予定が、参加者の希望により朝4時に出発。熱心な方々ばかりです。
前夜も夕食の後、お部屋で数時間鳥談義。
彼の博学ぶりには驚かされます。私も25年余り鳥を観てますが、へえ~っと驚くことがたくさんありました。
私はただ単に鳥を観ていただけなのかなという気にすらなります。(苦笑)
夜が明けだしご来光。後光が射すとはこんなことをいうのでしょうか。
釈迦堂近くには、著名な生物学者で日本野鳥の会京都支部初代支部長でもあった川村多実二氏の歌碑もあります。
「時ならぬつばきの花をよろこびてめじろ友よぶ山かげの寺」
午後からは学習交流会があり、ご長女をはじめ中西悟堂氏とご縁のある方々がたくさんお集まりになって、氏にまつわる逸話などの講演がありました。
中でも、氏と交流の深かった世界連邦日本仏教徒協議会会長で毘沙門堂門跡である叡南覚範師の深いお付き合いのお話は、個人宛の手紙などのご紹介もあり、すごく興味深い物でした。
「中西悟堂」というと何か雲の上の方、ずっと過去の方のように感じていたのですが、今回いろんなご縁のある方々にお会いして、すごく距離が縮まったように思いました。
今回、夜・朝・昼と精進料理を3食も食べたのも初めてでした。
ちょっとは体もきれいになったでしょうか・・・(笑)
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「学習交流会」
交流会は、中西悟堂協会事務局・中村滝男氏の司会で進められた。
中西悟堂協会会長・津戸英守氏の開会あいさつに続いて、悟堂ゆかりの講師による記念講演が行われた。
(1)中西悟堂と比叡山(毘沙門堂門跡・叡南覚範)
(2)日本野鳥の会77年の歴史(日本野鳥の会京都支部長・石川順一)
(3)父の思想と比叡山(中西悟堂長女・小谷ハルノ)
(4)比叡山の野鳥今昔(元日本野鳥の会京都支部役員・久保忠雄)
中村桂子副支部長による日本野鳥の会京都支部史の紹介のあと、中西悟堂賞が津戸会長から日本野鳥の会諏訪会長・林正敏氏に授与された。また、小谷ハルノ氏から津戸会長に感謝の言葉と「中西悟堂特別賞」のメダルが贈られた。
最後に参加者約50名の自己紹介があり、交流会は無事終了した。