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キビタキ船長

 1954年(昭和29年)9月25日、青函連絡船の洞爺丸が台風によって沈没し、1000人以上の犠牲者が出ました。同じ日に、北海道で子育てを終えたキビタキが津軽海峡を南下していました。
 また、多くのイカ釣り船も出漁していましたが、海が荒れ始めたので、船長たちは漁り火を消してフルスピードで下北半島へ帰り始めます。
 その一人田畑さんは、航行中に鳥の声を聞きました。大荒れの海を見ると、数百~数千羽のキビタキが海面すれすれに飛んだり、波にさらわれたりしています。鳥たちを助けるべく、船がスピードダウンして危険なことを覚悟の上で漁り火を点けっぱなしにしてキビタキを集め、マストやブリッジ、ウィンチなどにびっしりと止まらせたまま母港に向かいました。
 陸地が見えると、キビタキたちは次々に飛び出し、闇の中に消えていきます。最後の1羽が飛び立つまで見送った田畑さんは、この日以来「キビタキ船長」と呼ばれるようになったという話です。

    

 この話にはエピローグがあって、田畑さんが亡くなった後も、その心意気は津軽海峡で漁をする船長たちに受け継がれているそうです。
 函館港の漁船は出港時に集魚灯を点けたまま出航し、北海道から南へ渡る夏鳥の移動を支援。そして、沖合いまでくると、鳥たちは青森県を母港とするイカ釣り船に乗り換え、本州まで運ばれるとか。キビタキだけでなく、オオルリ、センダイムシクイ、ノゴマなども船に乗って渡るそうです。
 この話は、バードウォッチャーでもある漫画家の岩本久則さんの著書『寄鳥見鳥(よりどりみどり)』に書いてあります。

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